2001年の日本シリーズ第4戦で決勝本塁打を放ち、ヤクルトを4年ぶりの日本一に導いた副島孔太さん(36)。現在は東京・港区の居酒屋「西麻布鉄腕」に勤務しながら、指導者兼任としてクラブチームでプレーしている。今も野球への情熱は冷めることはない。 (聞き手・米沢秀明)
オリックスを自由契約になったあと、茨城ゴールデンゴールズ(欽ちゃん球団)で2年間プレーしましたが、まだ野球がやりたいと思っていました。
次にフェデックス硬式野球部でプレーすることが決まりましたが収入も必要。そんなとき、「うちでよかったら来ないか」と声を掛けてくれたのが、同い年の鉄腕の遊佐兆正マネジャーでした。よく店に顔を出していたんです。
遊佐マネジャーは東海大相模高から日本石油でプレー。最初に会ったのは中学生のとき。シニアリーグのジャパンのセレクションでキャッチボールをやったときからの付き合いです。
飲食店も自分で経営となると大変でしょう。自分は野球をしたい。そのために何をしようか、という発想ですね。
鉄腕には月に3回。同時に東京・中野の居酒屋「少年野球指導教室 中野塾」に週2日行っています。同店の堀内康史代表(元巨人監督・堀内恒夫氏の長男)が同級生なんです。厨房には元女子プロレスラー、コンドル斎藤さんが入っています。
僕の仕事は接客。飲みながら野球の話をしたり、テレビで中継を見ながら解説したり。人に会うのが好きなんですよね。何となく話をして、お客さんに喜んでもらえるとうれしい。まあ、コアなお客さんは自分より野球に詳しいですけど。
引退のときには球団合併問題もありました。自分が負けている選手がどれだけいるのかと思いましたが、年数の兼ね合いでチームにいられなくなったのは残念でしたね。
オリックスの最後の年、12月になっても話がなかったとき、次の仕事といっても野球以外思いつかなかったですね。1年ぐらいプラプラするよと親に言って。
そうこうしていたら、年が明けてゴールデンゴールズから話をもらいました。選手としてというよりは、指導者としての役割が面白いかなと思ったんです。チームをつくるということに意味があると思って。
ところが、自分もヘルニアになって、キャンプに行こうとしたら右足が動かない。食事もできなくなって。注射を打って行きましたよ。
現在は、鉄腕のクラブチームで二塁手をしています。獨協大の臨時コーチや小中学生の野球教室など指導に携わることも多いです。やはり自分はずっと野球をやっていきたいんです。
最近、神宮球場へ出かけたとき、客席のファンから、「現役のときより明るくなったんじゃないか」と声をかけられました。恵まれたことに30年野球をやっていますが、昔は昔、今は今で楽しんで野球に接することができていると思います。
僕も寂しがり屋のところがあるから、いつも誰かと食事をしたり野球をしたり。流れで49年会の連絡係にもなっています。忙しいという感覚も薄くて、時間があるとリトルやシニアの手伝いに行ったりという生活なんですよね。
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